インタビュー

2019.7.21

地元をイカした街に!4つの肩書きで気仙沼を盛り上げる若者に突撃取材してきた!

柴田

初めまして!

この度『タノクラ』で記事を書かせて頂く事になりました、柴田葵(しばた あおい)と申します!

現在、宮城県気仙沼市に一年間のプチ移住し、co-ba KESENNUMAというシェアオフィスでインターンをしています。

今回は、私がインターンをしているco-ba KESENNUMAのコミュニティマネージャー、志田淳(しだあつし)さんにお話を伺ってきました。


インタビューした方のプロフィール

志田 淳

1992年生まれ
宮城県気仙沼市出身。大学時代は上京し、卒業後にUターン。

今は、「せっかく住んでいる地元だから、イカした街にしたい」との思いを持ちつつ、グラフィックデザインの仕事、co-ba KESENNUMAのコミュニティマネージャー、気仙沼のFM局でのラジオパーソナリティ、人材育成事業『ぬま大学』のコーディネーターとマルチに活躍している。

柴田

1つの職業にとらわれない働き方をする淳さんは、一体どのような仕事論、暮らし論を持っているのでしょうか。

この記事の目次

4つの肩書きを持つ異色の地元民

柴田

本日はよろしくお願いします。

志田さん

よろしく!

柴田

まずは、淳さんが今どのような仕事をしているのか、教えていただいてもよろしいですか?

志田さん

今は、デザイナー、co-ba KESENNUMAのコミュニティマネージャー、ラジオパーソナリティー、あとは気仙沼市の人材育成事業にも携わってる。


柴田

最近、困っていることがあるとかないとか。

志田さん

うん。自己紹介の時になんて言おうかっていうね。


柴田

それだけ色々な肩書きがあると、確かに迷いますよね。スケジュールもかなりタイトなんじゃないですか?

志田さん

いやいやそんなことないよ。毎日暇。常に暇。

柴田

(ほんとかなあ)

志田さん

・・・・・笑

主催イベントがきっかけでデザイナーの道へ

柴田

どのような経緯で、それだけたくさんの仕事を同時にやることなったんですか?

志田さん

順番どおりに言うと、まずはデザイナーが最初。大学生の時に開催していたLocal Cross Marketっていう古着のフリーマーケットがきっかけだった。

Local Cross Marketの様子

柴田

フリーマーケットがきっかけでデザイナー…?詳しく聞かせてください。

志田さん

その時に、スタッフのチーム感を出したいなと思って、オリジナルのTシャツを自分でデザインして作ってみたんだよね。

一般の人に売ったりもしてみたら、それが好評で。

じゃあこれをちゃんとブランドにしてやっていこうって思って出来たのが『memento mori(メメントモリ)』っていうブランド。

後に『DE_FAULT(デフォルト)』に改名して、2017年までアパレルをやることになるんだよ。

柴田

イベントがきっかけでアパレルブランドを立ち上げたんですね。2017年までってことは、それからはもうやってないんですか?

志田さん

2018年頃からは、主にグラフィックデザインとか、ポスターやチラシのデザインとかの仕事をするようになるんだけど、これには理由があって。

まず、大学を卒業して気仙沼に帰ってきたのが2014年のこと。それと同時期にco-ba KESENNUMAができたのね。


柴田

co-ba KESENNUMAってどういう場所なのか、知らない人のために教えてもらってもいいですか?

志田さん

会員制のシェアオフィスだね。

co-baはもともと株式会社ツクルバが運営していて、今は全国に20カ所以上あるんだけど、そのうちの1つっていう感じかな。

co-ba KESENNUMAは、オーナーの杉浦恵一さんっていう方を筆頭に、ボランティアの人たちと一緒に作られたんだよ。

co-ba KESENNUMAの内装

柴田

ありがとうございます。それで、淳さんは会員になったんですか?

志田さん

そう。オーナーと知り合って、「今自分はアパレルブランドやってるんです」っていう話をしたら、「じゃあここをオフィスとして使いなよ」って。


柴田

今はコミュニティマネージャーですけど、最初は会員だったんですね。

志田さん

そう。会員として関わってたんだけど、そのうちそこでイベントを主催するようになるんだよね。

11back(イレブンバック)っていう、今でも続くイベントなんだけど、毎月11日、東日本大震災の月命日に皆で集まろうっていうもの。

これから派生して、2017年2月、大きなイベントを開催する事になるんだよ。


柴田

大きなイベント?

志田さん

PICNIC CARAVAN(ピクニックキャラバン)っていうイベント。屋外での大きなお祭り。

これの主催をco-ba KESENNUMAのオーナーと一緒にやったんだけど、ロゴや印刷物のデザインも俺がやったの。

そこで気付いたのが、地方でこそデザインって大事なんだなっていうこと。

柴田

地方でこそ大事っていうのは、どうしてですか?

志田さん

そのイベントをおしゃれにしたいっていう思いが元々あったのね。

デザインがダサければいくらでもダサくなるんだよ。

イベントの内容だけ見れば、誰にでもできることかもしれない。

だけど、1つ1つの見せ方にこだわることで全然印象が変わるし、響く層も変わってくる。

かっこいいって思ってくれれば若者も集まるよね。

それを凄く体感して、グラフィックデザインって地域では大事になってくるんだなって思った。


柴田

それがきっかけで、アパレルからグラフィックデザインに変えたんですか

志田さん

そうだね。あとは、グラフィックだったら、アパレルよりもっと気仙沼の仲間たちと密接に仕事ができるなと思ったのも大きいかな。

誰かがお店を出すってなったら、そのチラシを作ったり。


柴田

確かに、今では気仙沼内外の色んな人から依頼を受けていますもんね。

その中には、元々仲が良い人も多いように思います。

志田さん

コミュニティに貢献できている感覚は大事だね

人との繋がりで広がる仕事の幅

柴田

アパレルからグラフィックデザインに変えたのは、PICNIC CARAVANのすぐ後ですか?


志田さん

いや、それから1年くらい経ってから。


柴田

イベントが2017年2月なので、2018年の春くらいですね。けっこう経ちましたが、どうしてですか?

志田さん

2017年はまだアパレルをやっていたし、忙しくなって本格的にグラフィックに振り切るタイミングが掴めなかった。

なんで忙しくなったかというと、ラジオが始まったの。

ラジオ出演中の淳さん

柴田

ついに2つ目の仕事について明かされますね!

ラジオパーソナリティになったのはどのような経緯だったんですか?

志田さん

『けせんぬまさいがいエフエム』を前身とした『ラヂオ気仙沼』っていうラジオ局が2017年7月に開局したのね。

その前、PICNIC CARAVANの時にラジオの関係者と会う機会があったんだけど、丁度パーソナリティにいい人いないかなっていうタイミングだったらしい。

それで、このイベントを主催してるのが俺だと知って、パーソナリティとして出演しませんかって声を掛けてもらったんだよね。


柴田

ラジオもそれがきっかけだったんですね。ピクニックキャラバン恐るべし…!

志田さん

それで2017年の夏からラジオが始まった。

そんな中で、co-ba KESENNUMAのオーナーから、コミュニティマネージャーにならないかってずっと誘われていたんだよね。でも、1年くらい渋ってた。


柴田

そりゃまた結構渋りましたね(笑)

志田さん

だって、役職が謎じゃない?「コミュニティマネージャーって何?」みたいな(笑)

けど実際、肩書きがあると周りの人の為になるなと思ってコミュニティマネージャーをやることにした。

周りの人が仕事を振りやすくなるんだよね。あの人はco-baの人だから、co-ba周りの仕事はあの人に振れば良いんだ、というのが周囲に知れた、みたいなね。


柴田

「会員です」ではあまり肩書きとして強い効果を生まないイメージですが、コミュニティマネージャーだったら、運営に関わっているんだなというのが分かりますもんね。

志田さん

そうそう。それで、コミュニティマネージャーになったのが2018年の4月。

そして同じ時期に、知り合いに声を掛けてもらって、人材育成事業に関わる事になった。

co-baでのイベント中の写真。(左はオーナーの杉浦さん)

柴田

人材育成事業とは、具体的にどういったものですか?

志田さん

『ぬま大学』っていうのがあって、それのコーディネーターをやらせてもらってる。

『ぬま大学』は、「気仙沼で何かやりたい」っていう気持ちを持った若者が、半年間、6回の講義を通してをれを形にしていくプログラム。

コーディネーターは、その若者1人か2人に対して1人が付く、伴走者のこと。一緒に考えて、やりたいことを形にしていく手助けをする人、と言えば分かりやすいかな。


柴田

分かりました!ありがとうございます。

整理すると、今はグラフィックデザインの仕事、co-ba KESENNUMAのコミュニティマネージャー、気仙沼のFM局でのラジオパーソナリティ、人材育成事業『ぬま大学』のコーディネーターを務めている、ということですね。

改めて聞くと、同時にこれだけの仕事をこなしているのはやっぱりすごいです。

志田さん

ありがとうございます(笑)

次は連載狙ってるから。連載欲しい。


柴田

言葉が引き寄せますから、たぶん1年以内に連載の話が来ますね。

志田さん

ほんとかよ。

打ち上げで「最高だった」と笑いたい

柴田

様々な仕事を同時にこなすにあたって、一貫して持っている、仕事に対する信念のようなものはありますか?

志田さん

2つあって、1つは気仙沼という拠点を動かさずにできる仕事かどうか。もう1つは、自分がわくわくするかどうか。


柴田

拠点はずっと気仙沼でいたいということですか?

志田さん

気仙沼にすごくこだわりがあるわけではないんだけどね。引っ越すのがだるいからだよ。


柴田

え?

志田さん

うそうそ(笑)

まあ、全くの冗談というわけではないんだけどね。

ただそれよりも、仲間がここにたくさんいるから、基本的には気仙沼で仕事をしたいっていう思いが格段に大きいかな。

柴田

知り合いに会わない方が難しい町ですもんね。仲間が増えていくのも当然といえば当然ですね。

志田さん

何にわくわくするかっていうのも2つあって、まずは、自分にしかできないこと。

co-baにしてもラジオにしても『ぬま大学』にしても、それは全部、自分だから出せる味っていうものが最大限に活きる場だと思う。

だからデザインの仕事も、それ俺のデザインじゃなくてもいいよねっていうものであればお断りしてる。

志田淳だからやってほしい、っていう仕事を選んでやっている、という感じかな。


柴田

自分だから選ばれたんだ、って思うと何より嬉しいですよね。

志田さん

うん、あと、わくわくする要素のもう1つは、隣の人と一緒にどれだけハッピーになれるか、ってところ。

打ち上げで、「大変だったけど最高だったね」って言える仲間たちとずっと仕事をしていたいなと思う。

この先も今のような暮らしを

柴田

淳さんは今、地元で、仲間がたくさんいる中で様々な仕事をしています。

今の状態をどう思い、これからどのようにしていきたいかを聞かせてください。

志田さん

すごく満足してる。納得もしてる。

気軽に飲みに行ける仲間や、ただの友達じゃなくて、一緒に仕事をできる仲間がたくさんいて、その人たちと町の課題などに関して試行錯誤しながら過ごす毎日は最高に楽しい。

だから、これからどのようにしていきたいかも、今は特にないかな。とりあえずこのままでいい。飽きたら出て行くかもしれないけど。

柴田

じゃあ、例えばこの先、気仙沼じゃないところに住みたくなって出て行くこともあり得るのでしょうか?

志田さん

なくはない。けど、なさそう(笑)

実際、毎晩仕事仲間と飲んで笑って1日が終えられれば、それは俺にとって最高の1日の終わり方だから、それができるのであれば別にどこだっていい。

気仙沼にいる理由としては、第1に地元だから。プラスαで仲間に恵まれているから、どこかへ行きたいとか全然思わない。現時点ではね。

柴田

じゃあこの先どうなるかは全くの未定っていうことですかね?

志田さん

うん。でもそれは誰しもそうじゃない?

もしかしたらこの先、東京にすっごく好きなラーメン屋ができて、毎日食べたいが故に移住するかもしれないし。

柴田

動機が軽めですね。

志田さん

ひとつの例だから笑

暮らしも人生も、もっと気楽に

『BE PUNK』の文字が映える椅子

1つの職業に捕われない働き方をしている淳さん。

周りから見たら、同時に色々なことをやっていて大変そう、と思われる事もあります。

しかし、本人はそれを大変だとは思っていません。

むしろ、その状況をいかに楽しむか、という考えを持っています。

「大人が本気で遊んだ結果がPICNIC CARAVANだよ」
と、いつか淳さんから聞いた事があります。

あのイベントの準備期間は、朝4時まで打ち合わせをして、帰って、また朝8時から打ち合わせ、という日が続いたそうです。

楽しむ為に楽をしない、そんな生き方を体現している人です。

もっと気楽に構えて、遊びに本気になって、真面目にふざける。

私にとって、そんな大人が1番かっこいいです。



この記事を書いた人

アバター

柴田 葵

2000年生まれ。ライター。 18歳の秋に宮城の港町・気仙沼に流れ着きそのままプチ移住中。

最新記事

地元をイカした街に!4つの肩書きで気仙沼を盛り上げる若者に突撃取材してきた!

2019.7.21

新着記事